日本のぶどうの歴史2010年03月24日 17時06分18秒

甲州

日本でもヤマブドウなどの野生ぶどうが、古来から繁殖していました。自然にできたものを採って食べることが主流でワインはほとんど作られず、近年に至るまで育種や改良されずに放置されていました。

ヨーロッパ種の”甲州”は鎌倉時代に伝来したとされています。1186年に山梨県八代郡祝村で雨宮勘解由が発見、栽培した説と718年に中国渡航歴のない僧行基が山梨県勝沼町に大善寺を建立した時に種を播いた説があります。

ぶどうは仏教とともに薬として伝来したとされ、ぶどうの発音は古代フェルガーナ国(現在のウズベキスタンのフェルガナ盆地)のブーダウからきているそうです。葡萄の漢字は中国からきていますが、結局、由来はよく分っていないようです。

1601年の甲州地方では甲州が160本だけ栽培されていた記録があります。1695年頃には甲州地方の他に駿河、八王子でも栽培されていたようです。

一方、京都では聚楽という品種があったらしい。紫と白の2種類があり、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に持ち帰ったとか、秀吉関白就任の祝いに明国から祝いに送られたとされます。甲州によく似ているらしく、大阪には現存しているとも言われています。

江戸時代の享保年間1716~1735に甲信地方で甲州三尺も栽培されていましたが来歴は不詳です。

明治以降、政府主導で外国から様々な品種が導入され、栽培を試みています。大正時代には甲州、デラウェア、キャンベル・アーリー、昭和30年頃にはマスカット・ベリーA、ネオ・マスカット、少し遅れて巨峰が栽培されるようになりました。1900年以降、マスカット・オブ・アレキサンドリア、グロー・コールマンのガラス温室栽培も始まりました。

その後、近年では多くの品種が生み出されるようになっています。次回からは独断と偏見に満ちあふれたぶどうの品種紹介をしてみようと思います。

写真は甲州です。植原葡萄研究所より引用。